2015年01月11日

どゆこと?

年始に実家に帰りまして、家系図は大きく進展いたしました。
伯母が昨年末に行政書士に頼んでなんやらかんやらの登記書類を作ったらしく、その書類の中にあった曽祖父の「改製原戸籍」を見ることができたのです。

「改製原戸籍」

見なれぬ聞きなれぬこの書類。
いうたら「戸籍謄本」です。
じゃあ何が違うのか?
戸籍法という法律がありまして。これが改正されたときに元々あった「戸籍」を法律にそって作り直すことが今までに何度かあったそうなんです。で、その際の元になっている戸籍が「改製原戸籍」です。
なので、役所で「戸籍謄本」(現在は「戸籍全部事項証明書」というらしい)を取り寄せると今はパソコン入力されたサラッとした書類が手に入ります。
「改製原戸籍」は手書き・タイプ入力された紙物です。(現在はそれを画像保存してコンピューター管理しているのです)

さて、この「改製原戸籍」を見ると
「おお!戸籍じゃ!歴史じゃ!」
と浮かれます。テンション上がります。
なにせ曽祖父の戸籍となると明治時代のお役人が書いたものなので、読めない字とかガンガンあります。
歴史を感じてしまう字面です。

そして、わからなかったことがいろいろ解明されました。

【母方祖父家系】曽祖父「林田辰之助」
長崎県壱岐郡那賀村(現在の壱岐市。旧芦辺町)の生まれ。
高祖父(曽祖父の父)「平蔵」、高祖母「デシ」の長男。
明治40年に「原トラ」と結婚、二児を儲ける(うち一人は戸籍登録前に亡くなったと思われる)も、大正2年に離婚。
その後、大正7年「瀬戸キシ」と再婚、四人の男子(うち一人は第二次大戦で戦死)を儲ける。このキシさんが僕の曾祖母にあたる。
昭和29年東京都小石川区富坂で死去。

ざっくりと書くとこうなる。
祖父やその兄弟たちの出生地をみると佐賀県、長崎県、大分県を転々と移り住んだように思われる。そして、昭和2年頃には東京下谷区あたりにいたようだ。

うーん。
わかったことがあった分細かいことが今度は気になる。。

そして、新たな疑問もでてきた。

曽祖父の戸籍はこう始まる。
「長崎県壱岐市那賀村××、長崎氏廃家の上戸主 林田平蔵長男願済復籍届出 明治18年4月〜〜〜」
これの意味が良く分からない。

ちなみに「廃家」というのは
「戸主が、婚姻や養子縁組などの理由により他の家に入るために、元の家を消滅させること」
である。

ということは、高祖父・平蔵さんは長崎家を廃家して林田家に入ったってことなんだろうか?
この辺は平蔵さんの原戸籍を見ないとわからないのだろうか?

辰之助さんの戸籍には「母・デシ」さんも入っている。
平蔵さんがデシさんより先に亡くなった為、家督相続した息子・辰之助さんの戸籍に入ったってことだろう。

おかげでこの「デシ」さんの情報が少し記載されている。
それによると、
デシさんは川村家に生まれたが、後に林田家に養女として引き取られていることがわかる。

ということは、ん?

高祖父・平蔵さんは長崎家から林田家の養女デシさんのところに婿養子として入ったってことなんだろうか?

しかし。
前述の「廃家〜」の記載は明治18年4月である。
平蔵さんとデシさんが結婚したのは明治18年6月とある。
曽祖父・辰之助さんが生まれたのは明治18年12月である。
さらに
戸籍のデシさんの欄には、明治26年9月に「夫平蔵と共々養子縁組届出」とも書いてある。

ん?ん?
てことはどういうことなんだ??

書類を見ていた時、そばにいた祖母に「どゆことかね?」と聞いたがわかるはずもなかった。
しかし、相続や家族の集まりの中で「『長崎家』というワードがなんだかんだ問題になったことがあったような気がする」とは言っていた。

んー?
わからん?

林田家(母方祖父家系)は郷士であったと聞いている。武士としての地位は低いが「養女・婿養子をとってでも家を守りたい」という発想は想像に難くない。
ちなみにデシさんも壱岐郡の出身である。
もしかしたら、壱岐の郷土資料を探せばなにかわかるかもしれない。

やっべ!ゾクゾクしてきた!

平蔵さんの改製前戸籍を請求してみればわかるかもしれない!

しかし。
基本的に現在から遡れる戸籍は5代前までがギリギリと言われている。
なんでかというと「戸籍」はその戸籍に記載されている人物が全員亡くなると「除籍簿」に入れられ一定の保存期間を過ぎると廃棄されてしまうからだ。
現在の「除籍簿」保存期間は150年だが、ちょっと前までは80年だった上に、自治体によっては期限前に廃棄してしまっていることがあるのだそうな。
壱岐市は市町村再編成などしているだけに怪しい。。

あるのか?平蔵さんの戸籍!?


家系図への道のりは険しい!!
posted by ししゃも at 03:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 家系をめぐる冒険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月23日

◎聞き取り調査・その一◎

以前、家系図を作りたいなーとちょっと書きましたが
家系図の作り方を調べてみると、STEP1「家族に聞き取りをしましょう」とありました。
ので、聞き取り調査をとりあえず母・祖母におこなってみました。


<父方祖父家系>
曽祖父が勘当された家は千住あたりらしい。江戸下町ではなく明治以降の下町ってことか。
他には新たな情報特になし。


<父方祖母家系>
情報なし。


<母方祖父家系>
曽祖父・龍之介さん
・長崎県壱岐島の郷士の家の出身。
・韓国で店(楽器店か?)を経営。失敗し東京に出る。時期は不明(明治から大正10(1921)年前までのどこか)
・経理士になり事務所を構え成功。
・富坂(現・小石川)にまとまった土地を購入。早くから下水・ガス等をひけるくらいに財があったらしい。
・お妾さんがいたのではなく、先妻・後妻がいた。先妻さんには息子一人。祖父は後妻さんの息子。

曾祖母・キシさん(名前判明るんるん
・龍之介さんの後添えとして結婚。息子四人、娘もいたそうだが夭逝。
・長崎県か熊本県の出身。
・芸者をしていた?

祖父・光生さん
・大正10(1921)年、東京生まれ。
・中学生(旧制)の頃は龍之介さんが財政難であったため給仕として奉公にでる。
・興亜専門学校(現・亜細亜大学)卒。
・戦時中は勤務先(会社名不明。タイプ会社か?)からの出向で上海へ。
・上海では学校(どんな学校か不明)で国語教師をしていた。
・上海時代はわりと裕福であった。終戦前ぐらいに帰国か?
・昭和23(1948)年、結婚。
・平成9(1997)年、死去。


<母方祖母家系>
曽祖父・寛さん(名前判明るんるん
・埼玉県鴻巣市出身。定年まで銀行員。その後電器会社に出向、退職。
・女ばかりの姉弟の末っ子長男。長女とは親子くらいの歳の差があった。
・「とにかく家のことは何にもしない」とは祖母の弁。

曾祖母・ナオさん名前判明るんるん
・寛さんとは幼なじみの同級生でこちらも地主の娘。当時としては珍しく恋愛結婚。

祖母・多嘉子さん
・昭和3(1928)年生まれ。
・埼玉県鴻巣高等女学校(現・鴻巣女子高等学校)専攻科卒。
・昭和23(1948)年、女学校卒業後すぐ結婚。

以上。おおまかに。
細かいエピソードも聞けてかなり面白かった。

父に聞き取りしないことには父方家系のことはわからんなー。
しかし、父とはまともに話したことないから、ちょっと困るな。相当恥ずかしいぞ。。
そして。父は僕以上にいいかげんな人だからちゃんと話してくれるかどうか。。。
ま、しかたない。やってみるか。

次回聞き取り調査はお正月あたりかしら。
posted by ししゃも at 18:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 家系をめぐる冒険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月06日

どこから来て、どこへ行くのか、

今朝方夢をみた。
祖母と志村けん(なぜか叔父さんという設定だった)にご先祖様についていろいろ聞き取りをする夢だった。
そんなことから妙に家系図が作ってみたくてフツフツしている。
フツフツついでに自分の分かる家系について書いてみる。

父方。
考えてみるとだ、たぶん僕は「青木家の跡取り」候補なのだってことに気がついた。
父の父母(僕の祖父母)はすでに亡くなっている。というわけで現在は父の兄(僕の伯父)が家を継いでいることになる。
とはいえ伯父は結婚していないので、次の跡取りは次男である父ということになる。
父の次の跡取りが父の弟(僕の叔父)になるのか僕になるのか?そのへんはちょっとわからん。
まぁ言っても相続するものは何もないし特に問題は無い。
いや?ホントに問題ないのか?お墓は?ん?んー?

とりあえず、まぁいい。
父方の人々がそういったことでもめる気がしない。ほら葛飾のなんちゃって下町な気質がある人々だから。

話を戻す。

<父方の祖父の家系>
祖父は僕が小学四年生の時に亡くなったので顔や雰囲気は覚えている。が、一緒に暮らしていたわけではないのでだいぶ曖昧。
曽祖父は遺影の写真でだけお見かけしている。
どうも聞くところによると、この曽祖父がわりと酒やら女やらにやんちゃっ子で親から勘当されたのなんだのと聞いている。
それまでは江戸下町で商売をしていた家だったと聞いた事がある。
そうだとすれば父方祖父の家系はずっと東京の人なのかもしれない。

<父方の祖母の家系>
祖母は僕が20歳くらいの頃に亡くなったのではなかったか。
小柄でシャキシャキしていてしっかり者だったと思う。顔はちょっと怖い感じだったんだけど優しかった。
父方祖母の家系は全くの謎。
祖母のお葬式の際に祖母の親類縁者の方々が訪れたのだが、父や伯父叔母たちもあまりよくは知らない感じだった。
考えてみれば祖母の旧姓すら僕は知らない。
たしか新潟あたりの出身だったと思う。
祖父と祖母のなれそめなんかも全然知らない。
父方家系は離れて暮らしていたために謎が多い。


母方。
ずっと母方の実家で育ったのでこちらの方が顔がわかる親戚も多い。

<母方の祖父の家系>
祖父は僕が今までに出会った誰よりも僕をかわいがってくれた人だ。
僕が20代半ばの頃に亡くなっている。
こちらの曽祖父も写真でだけお見かけしている。仏壇の下に一枚だけ入っていたのだ。
名前がタツノスケさんだったはず。
記憶違いでなかったらたしか文机に向かって書き物をしている写真だったはずだ。
タツノスケさんという名前とあいまって文豪なイメージである。でもたしかこの人もお妾さんいたんじゃなかったかなぁ。。
母方祖父の家系は高学歴な方が多く、祖父の兄弟は皆一流大学卒で、後に大学教授になった方もいたりする。中には演劇の研究だか作劇だかをしていた方もいたようで血を感じる。もっともその方は戦争で艦と共に海に散ったそうである。
九州の出身で対馬だったか島の出身だったと思う。

<母方の祖母の家系>
現在も存命なのがこの祖母だ。まだまだ元気である。
曽祖父も僕が小学五年生くらいまで生きていたので毎年お年玉をもらっていた。元銀行員だったはずだ。
いやしかし、それ以前に母方祖母の家系は埼玉某所の地主である。
子供の頃、毎年遊びに行っていたが「あの山とあの山の向こうまでがウチの土地」と説明されたことがある。
祖母の実家は歴史建物館とかで見たことあるような大農家の民家だった。それでもそれは分家の家でお隣にある本家(隣とは言っても小さな林を越えて行かねばならない。。)はもっと大きかった。
そりゃあ祖母がワガママな性格なのもうなずける(笑)
曽祖父が亡くなった時にいろいろ売り払ってしまったようだが、おそらくはっきりしたご先祖を探るとしたらこの家系が一番資料が残っていそうだ。


。。。。。。

ブツブツといろいろ書きましたが、皆さんには全くもってどうでもいいことですよねm(_ _)m
ご先祖様はどこで何をしていた人なのかしら?
思いを馳せると楽しいものです。

祖父母がどうやって生きてきたのか。それすら満足に知らない。
とにかくまずは祖母(母方)に話を聞いてみようかな。
わくわく。
posted by ししゃも at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 家系をめぐる冒険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする